私の愛しいアップルパイへ
口を開けば夢か情熱かしか言うことのない私ですが、以下のプロジェクトを見たらまた夢について話したくなりました。
ラウドパークの思い出と私の夢について
ラウドパークは日本に数あるフェスのなかでも特別思い入れの深いフェスです。私が好んで聴くハードロック/ヘヴィーメタル系のフェスとして国内最大の規模であることもありますが、このフェスがはじまった10年前は私にとって忘れられない年でもありました。
当日、私ははじめて参加するフェスに確かに心を踊らせながら向かいました。今ではバンド「jMatsuzaki」のマネージャーになった相棒KeiKanriも一緒でした。幕張メッセに入り、CDでしか聴いたことのない海外の大物アーティストたちが目の前のステージで轟音のハードロック/ヘヴィーメタルを繰り広げるなか、私は予想に反してイライラしていました。
実は、はじめてラウドパークが開催された10年前となる2006年は、私が学校を卒業してシステム会社に新卒入社した年でもありました。それは小学生の頃に音楽家になると夢みた私にとって、大きな敗北を意味する年でもありました。
私はあともう少し社会に見る目があれば、あともう少し運がよければ、私があのステージに立っていたはずだなどというどす黒い嫉妬心にまみれていました。
結局私は終始客席のうしろのほうに座り込んで、音が悪いだの演奏が下手だのと難癖をつけている始末でした。私にはただの傍観者でしかない自分の無力さと夢の終わりをまざまざと突きつけられるのが心底苦痛だったのです。
夢を諦めてしまったのはいつのことだろう?
夢を諦めてしまったのはいったいいつだったのでしょうか。
男の子だからという理由で青いカスタネットを手にとったときでしょうか(私は情熱の赤が好きだ!)?
モテそうだという理由でサッカーの習い事を選んだときでしょうか?
みんなが偉いと言っているから、尊敬している人の欄にエジソンと書いたときでしょうか?
女子ばかりの吹奏楽部に入る勇気を出せなかったときでしょうか?
自分よりうまい同年代のギタリストに出会ったときでしょうか?
はじめて作った曲の入ったMDを、ついに誰にも聴かせることができなかったときでしょうか?
親と教師との三者面談で、システム系の専門学校に進学するなどと心にもないことを口にしたときでしょうか?
夢を諦めたときなんて分かりようがないでしょうか?いいえ、分かります。
私が夢を諦めたのは、私自身が「私は夢を現実化することのできない人間なのだ」と信じてしまったときでした。
あれから10年が経ったいま、開き直った私は諦めきれない夢に向けて最後の悪あがきをしている真っ最中であることを心底誇りに思います。もちろんこの「出れんの!?ラウパ!?」にも胸をはって申し込みました。
私はもう二度と夢を諦めることも、夢を恥ずかしがることも、夢をないがしろにすることもないでしょう。私は私の手で私の夢を最高のかたちで現実化できると信じているからです。今後10年経っても、20年経ってもこの信念は変わらないでしょう。
薄汚れた親父になっても、病院のベットで身動きがとれなくなっても、いつでも私は口を開けば夢か情熱かしか言うことがないでしょう。
なぜだか今日はただそんな人間がここに1人居るのだとあなたに伝えたくなりました。
貴下の従順なる下僕 松崎より