アンダース・エリクソン教授の超一流になるのは才能か努力か?を読んだ感想とまとめ

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私の愛しいアップルパイへ

ここのところ、私のデリケートな頭を悩ましていた問題が1つあります。それは端的にいえば「一流の芸術家と呼べるような音楽家になるためには、いったいどんな訓練を積めばいいのか?」といった悩みでした。100mを9秒台で走るというような明確な目標とは違って霧か霞をつかむような話で、目的地はわかっているのに具体的な道筋がわからず、とぐろを巻こうとして千切れてしまった蛇のごとくのたうつばかりでした。

楽器の演奏技術は必要でしょうが、それだけでいいのか?音感は必要でしょうが、いったいどのくらいまで?健康でなければ歌は歌えないでしょうが、どのくらい健康に配慮すればいい?

このような悩みを持つ人は多いでしょう。よき親になるには?よき教師になるには?よき医者になるには?よきエンジニアになるには?よきブロガーになるには?よきコピーライターになるには?よきシェフになるには?どれも一流の定義が難しく、目的地へと向かう道筋も具体的な訓練方法もはっきりしていません

だからといって手当たり次第にできることから手をつけてみるというのは、私たちのようなスマートな人間には似つかわしくないでしょう。そこで、超一流と呼ばれる存在へとたどり着くためにどの分野でも汎用的に使える究極の訓練法があるとしたらどうでしょうか?そんなことはあり得ないと鼻で笑ってしまいますか?

それが、あるんです。アンダース・エリクソン教授とロバート・プール氏の共著、「PEAK」(邦題:超一流になるのは才能か努力か?)がそれです。

超一流を研究し続けた心理学者、アンダース・エリクソン教授

マルコム・グラッドウェル氏が「OUTLIERS」(邦題:天才! 成功する人々の法則)で説いたことで広まった「一万時間の法則」はご存知でしょうか。

マルコム・グラッドウェル氏の「OUTLIERS」と同時期に出版されたジョフ・コルヴァン氏の「究極の鍛錬」という本もあります。

これらの元ネタとなったのが心理学者であり、超一流について調査しているアンダース・エリクソン教授の研究結果でした。アンダース・エリクソン教授はチェスやバイオリン、数字記憶をはじめ様々な分野の超一流について、超一流とただの一流との差を分かつものを研究し続けている教授です

そして、それらの研究の集大成ともいえる本が「PEAK」ということになります。アンダース・エリクソン教授は超一流の能力を身につけるために必要な訓練を「限界的練習」と名付け、その具体的な方法を一冊にまとめました。ようやくアンダース・エリクソン教授自身の本が出たかという感じです。

今日は紹介も兼ねて本書をまとめていきましょう。

アンダース・エリクソン教授の超一流になるのは才能か努力か?を読んだ感想とまとめ

才能は恵まれるものではなく、創り出すもの

人間の潜在能力という貯水池は、生まれつき容量が決まっているという考えは成り立たなくなった。そうではなく、潜在能力という水瓶は、われわれが人生を通じて何をするかによって形が変わり、いくらでも容量を増やしていくことができる。

序章 絶対音感は生まれつきのものか?

傑出した能力を持つ人というのは生まれつきの才能に恵まれた一部の人間の特権だとながらく考えられてきました。しかし、最近の研究ではこれが大きな間違いであることがわかってきています。

第一に、傑出した能力を創り出す才能は実はほとんどすべての人間が持っていること。第二に、その才能を適切な方法で引き出せば誰もが傑出した能力を身につけられることです。

天武の才と呼ばれる代表的なものが絶対音感でしょう。例えばモーツァルトは絶対音感を持ち合わせていたために神童と呼ばれ、多くの人々を驚かせたと記録に残っています。しかし、いまでは6歳までに適切なトレーニングを積めばほぼすべての人間が絶対音感を身につけられることがわかっています。それどころか、特別なトレーニングによって30歳の人間が絶対音感を身につけた例もあります。

これがなにを示しているかというと、特別な才能に恵まれた者だけが特別な能力を身につけられるのではなく、誰にでも漏れなく備わっている能力を活用すれば特別な才能は後から身につけられるということです。そして、その能力とは「人間の脳と身体に備わる適応性」です。

すべての音のピッチを言い当てたり、目を隠しながらチェスをしたり、驚くほど多く数字を暗記したりというのは、脳にある適応性を使えば訓練によって生み出せます。いままで生まれつきの才能だと思われていた能力は、脳の適応性によって後から作り出されたものだったのです。つまり、才能は恵まれるものではなく創り出すものだということです。

ベテラン医師が新人医師より能力が劣っている理由

限界的練習の場合、目標は才能を引き出すことだけでなく、才能を創り出すこと、それまでできなかったことをできるようにすることにある。それにはホメオスタシスに抗い、自分のコンフォート・ゾーンの外に踏み出し、脳や身体に適応を強いることが必要だ。その一歩を踏み出せば、学習はもはや遺伝的宿命を実現する手段ではなくなる。自らの運命を自らの力で切り拓き、才能を思い通りに創っていく手段となる。

第二章 脳の適応性を引き出す

20年~30年の経験がある医師は、2~3年しか経験のない新人医師よりパフォーマンスが劣っていることを示す実験結果があるそうです。毎日現場で20年~30年経験を積んだ医師の実力が実は新人より劣っているとは驚きです。

その理由は、医師の日常業務のほとんどは、医師としての能力を向上するどころか維持することにもつながらないからです。日常業務は許容できるレベルを維持するための練習にしかならず、そのうえ学生時代に学んだ当時最先端の技術も時代の変化とともに古くなっていってしまいます。もちろんこれは医師に限りません。自然にできるようになった能力は、改善に向けた意識的な努力をせず漫然と練習を続けているだけでは、何年続けていても腕は上がらないのです。

自らの能力を開発しようと思ったら「自らのコンフォート・ゾーンから飛び出すこと」が求められます。日常的に練習をしていようと、最新の情報のインプットを心がけていようと、現場で経験を積んでいようと、「これで十分」と感じているような居心地のよさを感じるレベルから飛び出して、これまでできなかった新しい挑戦に取り組まない限り傑出した能力にはつながらないということです。

もちろんそれは苦しい訓練に膨大な時間を費やすことを意味しますが、超一流を目指しているのならそのような訓練が必要とされます。これをエリクソン教授は「限界的練習」と呼んでいます。

傑出した能力を形作る「心的イメージ」

「限界的練習によって具体的に脳の何が変わるのか」という質問を挙げたが、その答えの一番重要な部分がこれだ。エキスパートと凡人を隔てる最大の要素は、エキスパートは長年にわたる練習によって脳の神経回路が変わり、きわめて精緻な心的イメージが形成されていることで、ずば抜けた記憶、パターン認識、問題解決などそれぞれの専門分野で圧倒的技能を発揮するのに必要な高度な能力が実現するのだ。

第三章 心的イメージを磨きあげる

ここまでの話をまとめると、限界的練習を積むことで脳の適応性を引き出し、傑出した能力を身につけて超一流への階段を登るということになります。では傑出した能力を身につけるとは、具体的に練習を通してなにが身についているのでしょうか。それを一言でいうと「心的イメージ」ということになります。

エリクソン教授の言葉を借りれば、心的イメージとは事実、ルール、関係性などの情報がパターンとして長期記憶に保持されたものであり、特定の状況に迅速かつ的確に反応するのに役立つものだそうです。日本語には「一を聞いて十を知る」ということわざがありますが、これこそ高度に発達した心的イメージの成せる業といえるでしょう。

例えば一流のチェス・プレイヤーは試合中のチェス盤を数秒見るだけで、すべてのコマの配置を覚え、ゲーム展開を完璧に理解してしまいます。これは、コマの配置を1つ1つその場で暗記しているのではなく、すでに自分のなかに作られている心的イメージのパターンに当てはめることで、一を聞いて十を知っているのです。実際、完全に無作為に並べられた駒の配置だった場合であれば、一流のチェス・プレイヤーの暗記力は凡人と差がなかったそうです。

チェスでは目隠しをしながら複数の対戦相手と同時にチェスをするといったパフォーマンスもありますが、これが可能なのもやはり心的イメージが高度に発達しているがためにその場で覚えることが少ないうえ、その後の展開や戦略が瞬時に理解できるからなのでしょう。

ですから、これから特定の分野で超一流を目指そうとするなら、高度な心的イメージを発達させるために限界的練習を積み重ねていくということになります。

人の能力を開発する3種類の練習法

どんな分野にも有効な練習法とそうではないものがある。本章ではあらゆる方法の中で最も有効なもの、すなわち限界的練習について見ていく。これこそゴールド・スタンダード、すなわち何らかの能力を身につけようとする者が目指すべき理想の練習法だ。

第四章 能力の差はどうやって生まれるのか?

世の中には様々な練習方法がありますが、エリクソン教授は練習方法を大きく3つに分けます。

1つ目は一般的な練習。これは「そこそこ」のレベルに達するために一般的に用いられる方法です。道具を揃え、友人やコーチに基本を教わり、友人とともに練習に励み、本番に臨む。このサイクルを繰り返し、一つ一つの動作を意識しなくても自然に実行できるようになる。初心者からみれば羨ましがられるような、まさに、そこそこのレベルです。

2つ目は目的のある練習。愚直に漫然とした練習を続けるのではなく、明確に目的を定め、そこに到達するために集中して行います。これは個人が自分の能力を開発するために必死に努力する類のものであり、以下の4つを満たす練習です。

  • はっきりと定義された目標がある。
  • 集中して練習する
  • フィードバックをもらう
  • コンフォート・ゾーンから飛び出す

最後、三つ目が限界的練習です。限界的練習は目的のある練習にいくつかの要素を足したものになります。これは主にクラシック音楽、数学、バレエ、フィギュアスケート、体操など何十年、何百年にわたって技術と教訓が蓄積された分野で発達している練習法の共通部分を抜き出したものになっています。

限界的練習と目的のある練習の違いを端的に説明するならば、エキスパートによって蓄積された教訓を基に目的のある練習よりもかなり戦略的に組み立てられたものである点です。

「限界的練習」の条件

限界的練習は他の目的のある練習と、次の二つの重要な点において異なっている。第一に、対象となる分野がすでに比較的高度に発達していること、つまり最高のプレーヤーが明らかに異なる技能レベルに到達している分野であることだ。

(中略)

第二に限界的練習には、学習者に対し、技能向上に役立つ練習活動を指示する教師が必要だ。当然ならそうした教師が存在する前提として、まずは他人に伝授できるような練習方法によって一定の技能レベルに到達した個人が存在しなければならない。

第四章 能力の差はどうやって生まれるのか?

限界的練習についてもう少し深く見ていきましょう。限界的練習というのは、クラシック音楽、数学、バレエ、フィギュアスケート、体操などのように何十年、何百年もの教育の歴史が積み重なっている分野で行われている練習法から、共通している部分を抜き出して整理してフレームワーク化したものといえます。

これによって個人が自らの技能を向上させるために必死に努力する「目的のある練習」と、目的に加えて情報が与えられる「限界的練習」を明確に区別しているのです。

限界的練習ではその分野のエキスパートの能力を分析し、彼らがそれを身につけるために実践したことをカリキュラム化し、指標とします。

限界的練習の条件をまとめると以下のようになるでしょう。

  • 知識(何を知っているか)ではなく、技能(何ができるか)を身につけることを主眼としていること
  • エキスパートの能力とその開発方法をもとに設計されたカリキュラムに基づいていること
  • 常に現在の能力をわずかに上回る課題に挑戦し続けること
  • 技能をいくつかの側面に分け、それぞれに明確に定義された具体的目標があること
  • 全神経を集中し、意識的に活動に取り組むこと
  • 定期的なフィードバックと、フィードバックに対応して取り組み方を修正すること

限界的練習が適用できない分野にも原則を応用できる

限界的練習が可能な分野にいるなら、もちろんそれを実践すべきだ。そうでなければ、できるかぎり限界的練習の原則を取り入れよう。それをしようとすると、結局は目的のある練習にいくつかの手順を加えたものになる。まず傑出したプレーヤーを特定し、次にそれほどの成果を出すために何をしているかを突きとめ、同じことができるようになるための訓練方法を考えるのだ。

第四章 能力の差はどうやって生まれるのか?

となると、優れた芸術家になりたい、優れたブロガーになりたい、優れたコピーライターになりたい、優れた心理学者になりたい、優れたシェフになりたいといったように、正しい訓練方法が確立されていない分野、もっといえば誰が本当のエキスパートなのかも曖昧な分野では限界的練習は使えないのでしょうか?単に意味がありそうなことを必死で努力する「目的のある練習」を続けるしかないのでしょうか?

もちろん答えはNoです。限界的練習が確立されていない分野においても、限界的練習の原則を応用することでできるだけ効果的な練習方法を自ら組み立てることはできるからです。

例えば、医師の世界では一流の医師の診察結果をデータ化してシミュレータを開発することで、限界的練習に近い訓練が受けられるような仕組み化が進んでいます。アメリカ海軍が行ったかの「トップガン」と呼ばれる訓練法では、シミュレータに加えてベテランパイロットとの実機を使った戦闘訓練をこなすことで、限界的練習の原則を応用して大きな成果をあげました。

私たちが超一流を目指す分野がなんであれ、優れたアメリカ海軍のパイロットになるよりずっと難しいということはないでしょう。

どのような分野であれ、限界的練習の原則を用いて、正しい方法で練習を積めば新しい才能を創り出すことができるはずです。

自らをコントロールし、可能性を自ら切り拓く

限界的練習は夢を持つすべての人のためにある。絵の描き方、コンピュータ・コードの書き方、ジャグリングやサクソフォーンの演奏、アメリカ文明を象徴する小説の書き方などを学びたいという人。ポーカーやソフトボールがうまくなりたい、営業成績を伸ばしたい、歌がうまくなりたいという人。人生を主体的に選び、才能を自分で作り出し、今の自分が限界だという考えに与しないすべての人のためにある。

第六章 苦しい練習を続けるテクニック

「目的地は決まった。しかし、どうすれば辿り着けるのか?」

本書はこんな悩みを持つ夢見るリアリストのために書かれた本です。今までのように目的に向かって我武者羅に努力するのではなく、エキスパートを特定し、それを指標として「限界的練習」を行うことで才能を”創り出す”ことができるでしょう。

この記事では限界的練習とは何かにフォーカスしてまとめましたが、本書では他にも限界的練習が実際に脳にどのような変化を及ぼしてくれるのか?限界的練習を他の分野に応用するための方法は?実際に限界的練習を通して能力を開発していくステップは?といった限界的練習を自分に適用するためのノウハウが詰まっています。

本書は超一流へと向かう具体的な方法を提示してくれ、自らの分野で超一流へと向かうための正しい訓練方法を模索する楽しさを教えてくれます。「才能が足りない」なんて現実逃避に逃げ込むことなく、自らの可能性を主体的に切り拓いていくための希望が詰まった一冊です。

すべての夢見るリアリストにオススメの一冊!

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。