一万時間の法則が間違っている3つの理由

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私の愛しいアップルパイへ

どれも邦題がダサいことで知られるマルコム・グラッドウェル氏が著書「Outliers」(邦題:天才!成功する人々の法則)で説いた「一万時間の法則」は実にエキサイティングなものでした。

一万時間の法則とは、心理学者のアンダース・エリクソン教授の調査結果をもとに、どんな分野でも傑出した能力を身につけるためには約10年もの時間をかけて一万時間におよぶ練習を積み重ねる必要があることを説いた法則です。

▼「一万時間の法則」とはなにかについてはこちらをお読みください。

天才の絶対条件である1万時間の法則とは?

本書が2008年に登場して以来、「一万時間の法則」は広く知られるようになりましたが、多くの反論があることも事実です。

私はマルコム・グラッドウェル氏の「Outliers」を大変興味深く読みましたが、ここではあえて反対意見についても取り上げみようと思った次第であります。

一万時間の法則が間違っている3つの理由

特に興味深いのは、マルコム・グラッドウェル氏が「一万時間の法則」の根拠とした実験を実際に行ったアンダース・エリクソン教授が、この法則を真っ向から否定していることです。

エリクソン教授は「やみくもに一万時間の練習に没頭すれば誰でも天才になれる」といったトーンで独り歩きしはじめたこの法則を度々否定していました。

▼2016年にエリクソン教授が執筆した「PEAK」(邦題:超一流になるのは才能か努力か?)で、その内容が綺麗に整理されています(奇しくも、こちらも邦題がダサい)。

今日は「PEAK」で登場する一万時間の法則に対する反駁をまとめてみます。

一万時間という時間は単に区切りが良かっただけ

一万時間という数字には何の特別な意味も魔力もない。グラッドウェルはバイオリン科のトップクラスの学生たちが十八歳までに注ぎ込んだ練習時間(約7400時間)を挙げてもよかったはずだが、あえて20歳になるまでに蓄積した練習時間を選んだのは、それが区切りの良い数字だったからだ。しかも十八歳と二十歳のどちらをとるにしても、学生たちはバイオリンの達人には程遠かった。

PEAK」 第四章 能力の差はどうやって生まれるのか?

エリクソン教授は研究対象であったバイオリン科のトップクラスの学生において、一万時間というのはなんら特別な意味を持っていなかったと言います。

二十歳で一万時間の練習を積んだ学生はたしかに優秀で、その道のトップに立つ可能性が高いと思われてはいたものの、一万時間の時点ではまだまだの域だったのです。

エリクソン教授は実際には国際的なコンクールで優勝するには三十歳前後であることが多く、おそらくそれまでに二万から二万五千時間の練習を積んでいる必要があると言います。一万時間というのはその半分にも満たないのです。

さらに、エリクソン教授は分野によってこの時間が大きく前後することにも触れており、別の実験で行った数字の記憶に関する能力のテストではわずか二百時間の練習で世界一になれた例を挙げています

一万時間というのは平均値に過ぎない

トップクラスの学生十人のうち、半分はその年令までに一万時間の練習を積み上げていなった。グラッドウェルはこの事実を誤解し、このグループのすべての学生が一万時間以上の練習を積んだという誤った主張をした。

PEAK」 第四章 能力の差はどうやって生まれるのか?

エリクソン教授は一万時間というのは平均値であり、いま広く知られているようなエキスパートになるために必要な最低限の閾値であるという認識は誤解であると説明します。

練習の内容に関しての言及がない

グラッドウェルは、われわれの被験者となった音楽家が実践した限界的練習と、「練習」という言葉でくくられるさまざまな活動とを区別しなかった。

PEAK」 第四章 能力の差はどうやって生まれるのか?

エリクソン教授は一万時間の法則が”やみくもに一万時間かけて無我夢中で練習すれば誰でもエキスパートになれる”かのように伝わったのは誤解であるといいます。

エリクソン教授が「超一流」の研究対象として選んだ人々は限界的練習を積んだ人々であり、バイオリニスト達はまさにこの限界的練習の恩恵によって能力を向上させた学生たちでした。ただ漫然と行われる質の低い一般的な練習であるならば、それほどの効果は発揮できないでしょう。

限界的練習については冒頭で紹介した本で詳しく説明されていますが、簡単に説明すれば以下のような条件を満たしている練習のことを指します。

  • エキスパートの能力とその開発方法をもとに設計されたカリキュラムに基づいていること
  • 常に現在の能力をわずかに上回る課題に挑戦し続けること
  • 技能をいくつかの側面に分け、それぞれに明確に定義された具体的目標があること
  • 全神経を集中し、意識的に活動に取り組むこと
  • 定期的なフィードバックと、フィードバックに対応して取り組み方を修正すること

エリクソン教授はマルコム・グラッドウェル氏が一万時間の法則の代表例として挙げたビートルズによるハンブルクでの過酷な公演スケジュールについても、この限界的練習とかけ離れていると指摘します。特定の弱みを克服し、特定の能力を向上させるという目標に向けて集中的に練習する限界的練習と公演は大きく異なるからです。

※ちなみに一説によるとビートルズによるハンブルクでの公演時間は一万時間とはほど遠い1100時間であったとも言われています。また、ビートルズの成功要因としてはハンブルク公演による四人の演奏技術向上よりは、ジョンとポールの作曲能力の向上に着目すべきとの意見もあります。

つまり、単に一万時間の練習を積むのではなく、質の高い練習を集中的に行うことが重要なのです。ただ漫然と一万時間の練習を積んだとしても、期待されるような成功は得られないでしょう。

「一万時間の法則」は人の可能性に限界はなく、人はそれを自らの手で切り拓いていけると教えてくれる法則

マルコム・グラッドウェル氏の一万時間の法則に対するエリクソン教授の反論を取り上げましたが、両氏の主張で共通している部分もあります。これもエリクソン教授の言葉を借りましょう。

とはいえグラッドウェルは一つだけ正しいことを言っており、しかもそれはとても重要なことなのでここに改めて書いておきたい。多くの人がエキスパートになるために努力してきた長い伝統と歴史のある分野で成功するには、長年にわたるとほうもない努力が必要である、ということだ。それがきっかり一万時間であるかは別として、多くの時間を要することはたしかだ。

PEAK」 第四章 能力の差はどうやって生まれるのか?

マルコム・グラッドウェル氏の一万時間の法則には誤解が含まれているかもしれませんし、エリクソン教授の研究結果が誤解とともに広まったかもしれません。しかし、マルコム・グラッドウェル氏の意図を汲み取れば、一万時間の法則には依然として大きな価値があると私は思います。

マルコム・グラッドウェル氏が最も言いたかったのは何時間の練習が必要かということではありません。多くの天才たちの偉業は生まれつきの才能によるものではなく、生まれてからの努力が結実した結果であるということでしょう。つまり、われわれの前にも可能性の扉が開かれているということです。われわれが自らの意志で自らの可能性を切り拓いていこうとするならば、それは可能だということです。

おそらくマルコム・グラッドウェル氏の目的は可能性の扉へと読者を突き動かすことだったのでしょう。そのために同氏が「ティッピング・ポイント」で語ったように、アイデアが人の記憶に”粘る”ように分かりやすくて魅力的な名前をつけたものと思われます。

そして、おそらくは一万時間の根拠の薄弱さについて最もよく理解しているであろうマルコム・グラッドウェル氏があえて「一万時間の法則」を謳ったのは、人が可能性の扉を開いて進むうえで(一万時間が誤りだとしても)有効な指針として機能すると信じたからではないでしょうか。

一万時間を目指せば、たとえ必要な練習時間が二百時間であっても目的が達成できることに変わりありませんし、二万時間必要でも一万時間の積み重ねがあれば挫折の可能性は少ないでしょう。練習の質が重要とはいっても、一万時間の練習を積み重ねるほど意欲のある人が、ただ漫然と一万時間練習するとも考えがたいものです。

対するエリクソン教授は心理学を専門とする科学者であり、「一万時間」の正しさについて反論したのは自然の流れともいえます。元ジャーナリストであるマルコム・グラッドウェル氏がコンパスを表そうとし、心理学者のエリクソン教授は地図を表そうとし、その間に摩擦が生まれたのです。

一万時間が誤りかどうかは別として、両氏の願いは同じでしょう。われわれの可能性に限界はなく、われわれはそれを自らの手で切り拓いていけるということです。最後はエリクソン教授の言葉で一万時間の法則の意図を補足しましょう。

人間が取り組むたいていのことにおいて、われわれには正しい方法で訓練さえすれば、技能をどこまでも向上させていくすばらしい能力があるのだ。あなたが何かを数百時間練習すれば、ほぼ確実にすばらしい能力向上が見られるはずだ。スティーブ・ファルーンが二百時間で何を成し遂げたか思い出してほしい。ただそれもほんのさわりに過ぎない。もっともっと練習を続ければ、さらにどんどん上達する。どこまで上達するかはあなた次第だ。

PEAK」 第四章 能力の差はどうやって生まれるのか?

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。