好きなことをやりたいなら、好きなことで稼ぐことを避けられない

rupees-587271_1920

私の愛しいアップルパイへ

25歳のときに「私はこれからは夢に貢献する自分の好きなことしかやらない。それ以外の妥協していることはすべて切り捨てる!」と決意しました。それから会社を辞め、個人事業を育て、5年が経ちました。いまでは好きなことに没頭しながら夢を現実化している生活に満足しています。

この5年を通して大きく思考が変わったのが「稼ぐ」ということについてでした。妥協なく夢へと向かう、好きなことをやると決意した私達にとって、お金を稼ぐということは避けられない問題の1つです。

「趣味でいいから…」という逃げ道

音楽家になるという夢を持った小学生時代から25歳まで、私は好きなここと(=音楽)でお金を稼ぐということから逃げ回っていました。

表向きには好きなことでお金を稼ごうと思えば、自由に好きなことに没頭できなくなるからという理由でした。個人的な解放感を追求する側面の強い音楽活動において、この言い訳は心地の良い現実逃避でした。しかし、実際にはただ怖いだけだったのです。

好きなことで稼いで生活しようと思ったら否応なく社会的な評価を突きつけられます。それが正当だろうが不当だろうが、真正面からその評価と向き合わねばならなくなります。また、お金を払ってもらうことには一定の責任がつきまといます。学校や会社を離れ、個人でそういった責任を負うことに躊躇していました。

ですから私は、好きなことにはお金に縛られず自由に取り組みたいという言い訳をするかたわら、「時間さえあれば俺だって…」「人脈さえあれば俺だって…」「貯金さえあれば俺だって…」という心地よい可能性のぬるま湯のなかで飼いならされていたのです。

「このままではいけない!」と、夢を諦めるか否かの帰路に経ったとき、ようやく気づきました。好きなことで稼ごうと思うと、お金に縛られて不自由になるという虚妄を捨てなければと。むしろ、好きなことでお金を稼ぐという現実的な問題と向き合わない限り、自分の夢を最高のかたちで現実化する突破口は開かないのだと。

好きなことをやるには、好きなことで稼ぐことを避けられない

それから夢に直接貢献する好きなことを、少しずつ仕事に置き換えていくなかで、いくつもの大きな発見を得られました。そのなかでも特に大きな思考の転換となったことが2つあります。

1.稼ぎは好きなことを続ける必須要素である

まず好きなことに没頭しようと思ったら、好きなことに没頭できる豊かさが必要になります。それは衣食住をはじめとした生活の豊かさ、より重要なことに没頭できる時間の豊かさ、活動に必要な機材などを揃える環境の豊かさ、などです。

これらを満たすためにはどうしたってお金を稼ぐ必要が出てきます。

また、好きなことにより深く没頭し、より高い成果を求めるためには、一部の仕事を人に任せるという選択肢も必要になってくるでしょう。つまり、好きなことに没頭するためのチーム化/組織化を進めるフェーズが来ます。

このとき報酬を払わずに仲の良い人にボランティアをお願いする選択肢もありますが、まずうまくいかないでしょう。そういったボランティア的な活動というのは長続きしないからです。それは好きなことを続けられないことを意味します。

個人でやるうえではもちろんのこと、チーム化/組織化のフェーズに至ってはなおのこと、好きなことでお金を稼ぐということは好きなことの活動を維持、持続するうえでの必須条件になるということです。

好きなことに自由に没頭し続けたいからお金なんて稼げなくていいという考えは、完全に矛盾しているということです。

2.稼ぎは価値と信頼の指標である

もう1つ重要なポイントとなるのが、ただ稼げていればいいのではなく好きなこと自体で稼ぐということです。

例えば、宝くじで2億円をあてさえすれば好きなことに没頭できる豊かさが手に入るので、好きなことで稼げる必要はないのではないか?と賢いあなたなら考えるでしょう。実際私もかつてはシステムエンジニアとしての仕事を通して充分な貯金を貯めてから、音楽に没頭しようと考えていました。具体的には、せめて1~2年は収入がなくても充分に暮らせる貯金を、と。

しかし、いまの私はこれに「否!」と答えます。

お金を稼ぐことはギャンブルとは違います。人がお金を払ってくれるのは偶然払ってくれたわけではなく、私たちのことを「お金を払う価値がある」と認めてくれたことに他なりません。それは私たちの仕事に価値を感じ、信頼してくれたということです。

お金は単なる数字ではなく、信頼に対するフィードバックでもあります。ですから、お金がまったく稼げていないということは、自分が好きなことに没頭することでうまれたものが、人からは信頼されておらず、影響を与えていないということを示します。

例えば、料理ではまったく売上が立っていないけれど、宝くじで充分に経営を支えることができているレストランに行きたいなどとは思わないでしょう。

これは絵や音楽といった芸術表現をはじめとした、個人的な活動にも当てはまるのでしょうか?私は当てはまると確信しています。極端な話、どんなことであれ人間の活動であれば他人への影響を志向しない活動など一切ないと考えています。

夢というのは単に時間的な意味で好きなことに没頭するという活動の枠を超えて、それによって人から信頼を得て影響を与える方向に向かうと私は考えています。芸術でも研究でも競技でも例外なく。

▼これは以下でお話した内容ともリンクします。

自らが偉大だと認める仕事によって他人を奮い立たせることは、好きなことに没頭するうえでの必須条件になると私は考えています。もし信頼も得られず、影響も与えられないのなら、胸が張り裂けそうな苦悩のうちにのたうつことになるでしょう。それは、最終的に好きなことが続けられなくなる最悪の結果をもたらしかねません。

ですから、宝くじをあてるとか、割の良い仕事で充分な貯金を貯めておいたとしても、それは一時しのぎであり問題の先送りでしかありえません。いずれにしても、いつかは好きことでお金を稼ぎ、好きなことで自律的に生活するというもっと本質的な問題と向き合わなければならなくなるのですから。そしてそれは、はやいほうがいいのです。

稼ぐことは好きなことをする活動の一部である

かつて私が勘違いしていたのは、好きなことに没頭して夢を現実化していくことと、お金を稼ぐことをまったく分断して考えていたことです。

むしろ、お金を稼ぐということは、好きなことに没頭して夢を現実化する一連の活動のなかの一部なのです。「お金を稼ぐ」「仕事にする」ということは、端的にいって夢と現実の交点を探ることだと私は考えています。

好きなことに没頭して夢を現実化するなかで、夢と現実の交点として働き方を考えるのは、楽しみに満ちた冒険なのです

夢を現実化することを考えるとき、お金を稼ぐことは厳しい現実とか取り返しのつかない失敗とか、ネガティブなトーンで語られがちです。しかし、この楽しい冒険から逃げ続けるのは、人生を損しているとすらいまは思います。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。