自分にはできないという思い込みが才能を潰してきたのかもしれない

私の愛しいアップルパイへ

ああ、そうだ、聞いてください。つい最近、ある出来事について「自分にはできない」という習慣化された無意識の思い込みが、自分の才能を潰してしまっていることに気づいた出来事がありました。

あることができないから「自分にはできない」と感じるのではなく、「自分にはできない」と思い込むからそれがどんどんできなくなっていく負のスパイラルの話です。

スポーツは昔から苦手。デスクワーク中心で体はカッチカチという思い込み

これは私が最近通い始めたマンツーマンのボーカルレッスンでの出来事です。ボーカルというのは、全身の力を抜くと同時に必要な筋肉が自然に働くように肉体を作り上げていくことが求められます。

そのため体の柔らかさが第一に求められ、日々のストレッチが重要になってくるわけです。ボーカルレッスンでも最初にストレッチのやり方から始まるのですが、私はまったく気乗りしませんでした。

というのも私は体が硬い自覚が強くあったからです。寝る前に軽くストレッチはするのですが、その度に自分の体の可動域の狭さにイラっとさせられます。

そもそも昔から運動に対して苦手意識があり(これは幼稚園の運動会で両親の前で一度もかけっこで一等賞を取れなかったなどという些細な出来事からきているに違いない!)、なるべくスポーツを避ける人生を送ってきました

高校からは音楽一辺倒の生活に入ったこともあり、運動部とは無縁の生活でした。以来、スポーツに対する苦手意識は高まり、友人と遊ぶときにもスポーツの類にはあまり積極的に参加しないようにしていました。花見でボール遊びが始まってもブルーシートの上にどっかりと座ったままヤジを飛ばす役割に落ち着くタイプです。

さらには最初の就職がシステムエンジニアだったこともありデスクワーク中心の生活が続きました。最近も執筆と作曲が主な仕事なのでやはり一日中デスクワークです。そうなるとデスクワークばかりで体が凝り固まってしまっているという自覚も高まっていきます。

かくして私は「スポーツは昔から苦手。デスクワークばかりで体がカッチカチ」というセルフイメージを作り上げるに至ったのです。

かつての自分の強みをすっかり忘れていた

最初のボーカルレッスンでボーカルに特化したストレッチのやり方を1つ1つ教えてもらっているとき、先生から意外な一言が飛び出します。

「あら、あなた運動もしてないしデスクワークばかりの生活の割には体は柔らかいのね。ストレッチとかやってるの?いい筋肉してるじゃない。」

私は困惑気味に「いえ…」とだけ返事しました。最初、これは人をおだてて気分を良くさせると同時に気合を入れさせようという類の、汚い大人の姑息な常套手段に違いないと思ったくらいです。続けて先生は言います。

「小さい頃、体が柔らかかったんじゃない?」

そう言われたとき、私はハッとしました。そうです、確かに私は小さい頃、特に小学生時代は体が柔らかいことで知られていました。開脚をすれば180度近くまで足を広げることができて、その類稀なる体のしなやかさから体操クラブに入っていたくらいでした。

体育の時間や休み時間には、自慢げに両足を外側にぐにゃりと曲げて床に座ってみては人を驚かしていたくらいだったのです。クラスで一番、学年でもトップレベルで体が柔らかかったに違いありません。

にも関わらず、私はそんなことをすっかり忘れてしまった挙句、いつからか無意識のうちに「自分は体が硬い」という信念を形成していたのでした。そして、苦手だと思うからどんどんそれを避けるようになり、実際にどんどんできなくなっていくという負のスパイラルに陥っていたのです。

実際には学年でもトップレベルでそれが得意だったにも関わらず…。ジーザス……。

苦手と思うから遠ざかる。得意と思うからやる気になれる

以来、私は自分がかつて人並み外れて体が柔らかかったことを思い出し、いまからでもしなやかな体を取り戻すことは可能であると信じるようになりました。結果、私は1日2回のストレッチを欠かさずに行うようになり、実際少しずつ体が柔らかくなっていくのを感じています。そうなると俄然ストレッチが面白い習慣となり、さらにストレッチに身が入って効果も上がるようになったのです。

このことから学べる教訓は、あることが苦手だという妄想が一度形成されると、無意識のうちにその行動を避けるようになり、実際にどんどん苦手になっていくということです(それがむしろ自分の得意分野であったとしても…!)。

ある種の無根拠の思い込みが、かつてR.K.マートンの唱える「自己充足的予言」のような呪いとして機能しだし、現実を作り出してしまうのです。この出来事から私はゾッとするような考えに思い至りました。

自分にはできないなどという無根拠の思い込みがいったいどれほどの才能を潰してきたのだろうか?

はたして、自分は人見知りだという思い込みが今までいったいどれほど選択肢を狭めてしまっていたのか?はたして、自分は恋愛恐怖症だという思い込みが今までいったいどれほど選択肢を狭めてしまっていたのか?はたして、自分は不器用だという思い込みが今までいったいどれほど選択肢を狭めてしまっていたのか?

自分はどれだけ無益な予言によって自らを縛り付けていたのか?同時にこれは今後の自分の可能性に対する大きな希望としても機能し始めたのです。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。