6年以上1分単位で行動ログをつけられているのは、自分の才能の活かし方が分かるようになるから

私の愛しいアップルパイへ

6年ほど前から1分単位での行動ログを残しています。厳密には2011年8月末頃からなので、そろそろ丸7年が経ちます。

▼今日の記録(一部)だとこんな感じです。使っているツールは「TaskChute Cloud」です。

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おっと、排水溝から這い出てきたネズミを見るような目で見ないでください。私は異常なほど神経質な人間って訳では無いのです。

むしろ私は淡々とやるとか細かい作業が好きって類の人間とは正反対の人間で、昔から細々した作業に取り組んだり、淡々と続けたりするのは苦手で困っていました。小さい頃はサッカーやら習字やら英会話やら色々と習い事に通ったものですが、ほんの数回でサボり方ばかり考えるようになって親はさぞ困ったことでしょう。

プリントはランドセルの中でクチャクチャになるタイプで、学期の最後の日に学校の荷物をまとめて家に持ち帰るタイプでした。つまりどちらかといえばズボラなタイプです。

そんな私が6年以上も行動ログの記録が続いているのは、素晴らしい「見返り」を得られているからです。私だって相当の見返りがなければ、行動ログを1分単位でつけるなんて偏執狂的な習慣を続けようなんて思いませんよ。

才能は無意識の反応に表れる

成功するにはどうすればいいのか?幸福になりたかったらどうすればいいのか?楽に生きるにはどうすればいいのか?

人生には人を悩ます深遠なる疑問の数々があるものですが、そのほとんどを解消できる素晴らしい方法があります。それは自分の才能を知って、それを活かすことです。これができたら人生のほとんどの悩みが解決できるといっても、さほど驚きはしないでしょう。

「ヘイjMatsuzaki。何を偉そうに語ってやがる?そんなことは百も承知だ。問題は、それをどうやってやるのかなんだよ」

どうやって?素晴らしい質問です。どうやって?はこの世で最も素晴らしい質問のうちの1つです。

才能を知って、それを活かすにはどうやればいいのか?そのためにまず考えなければいけないのは、そもそも才能とはなにかでしょう。

「ストレングス・ファインダー」で有名な一冊「さあ、才能(じぶん)に目覚めよう」にも書かれていますが、才能は無意識の反応に表れます

才能を見つけるためにまず最初にやるべきことは、さまざまな状況下で自分は無意識にどのような反応をしているか、自分自身をよく観察することだ。反射的な反応は才能を見つける最も有力な手がかりだ。最強の脳内回路のある場所を教えてくれる。

P.78

これは考えてみれば当たり前のことで、普通なら意識的でなければできないようなことが、自然と無意識でできてしまうから才能と呼べるのです。となると、引用した文章にあるとおり、才能を知るには無意識の反応を観察する必要があります。

賢いあなたならもうピンときたでしょうが、そのために行動ログは有効に機能します。行動ログをつけていると、自分がいま何に対してどのように反応したかを反芻するようになります。普段なら見過ごしてしまうような才能の片鱗にも敏感に気がつくようになるのです。

人見知りだと思っていた自分が、実は誰よりも楽しそうに会話している瞬間があります。面倒なことは嫌いだと思っていた自分が細部の細部まで意識してしまうような瞬間があります。いつも冷静な自分がトイレに行くのも忘れて没頭してしまう瞬間があります。

1つ1つは日々の忙しさの中でつい見逃してしまうようなことです。しかし、これらが自らの才能を知るためのかけがえの無いパズルのピースとなるのです。行動ログなしに自分の才能を知ろうとするのは、ピースの欠けた決して完成することなきパズルに取り組むようなものです。

才能は発揮しようと思って発揮できるものではない

行動ログをつける習慣は、才能に気づけるだけでなく、才能を活かす方法も行動ログをつけるプロセスの中で気がつくようになります。

才能というのは私は格闘ゲームのコンボのようなものだと思っています。社交的な人間がある一定の環境下では全く社交性を発揮できないことがあります。創造的な人間がある一定の環境下では全く凡庸なアイデアしか出せないことがあります。これは才能がなかったのではなく、コンボが発動しなかったのかもしれないのです。

逆に、ある手順を踏むことで驚くほどスムーズに自分の才能が発揮できることがあります。ある条件を満たすことで信じられないような才能を発揮できることがあります。私が思うに、才能というのは普遍的に使える能力というよりは、格闘ゲームのコンボのように効果的な技を繰り出すためには弱パンチや弱キックなどを踏まえた一定の手順が必要なのです。

しかし、才能について考えるとき、人はどうもコンボの最後の方にある強力な技にばかり目がいってしまい、その前の弱パンチや弱キックの重要性に気がつかないのです。ですから、自分の才能だと思っていたことがうまく発揮できず、キーボードの壊れたパソコンを操作しているような歯がゆい気持ちで生きることになります。

上述した通り、才能は無意識の反応です。ですから、RPGの魔法使いや格闘ゲームのキャラクターのように「今ここでこの必殺技を使う」というようなコントロールができないのです。

そのため才能へとつながるコンボを自分の中で持っておく必要があります。その引き出しが多ければ多いほど、効果的で質の高い生き方ができるようになります。ただし、人生は格闘ゲームのようにコマンド表は用意されていません。コントローラーをガチャガチャと動かしてたまたま出た技を見てコマンドを推測するのです。

行動ログをつける習慣はそのようにコントローラーをガチャガチャと動かして、才能という必殺技を出せるコマンドを探す行為と似ています。正しいコマンド表は渡されないため、才能を100%コントロールできるようにはならないでしょうが、しかし才能が発揮できる可能性を大幅に上げることは可能です。

そのために行動ログをつける習慣は有効に機能します。というより、ほとんど最強の方法だと言えるでしょう。

行動ログが続くのは究極の情報にアクセスできるから

細かいところでは行動ログをつけることの見返りは色々ありますが、一番の見返りはこれだと確信しています。

自分の才能に気づき、それを活かせるようになるという、これさえあれば自分の人生なんだってできるんじゃないかって究極の情報にアクセスできるわけですから、6年以上も続けられているのです。

行動ログがなかなか続かない、行動ログはなんだか面倒くさそうだと思うなら、今日お話ししたことを軸に取り組んでみると続くようになるかもしれません。それまで日記すら続かなかった私がいうのですから、あなたほどのお人ならもっとずっと効果的に取り組めるようになるはずですよ。

貴下の従順なる下僕 松崎より

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システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。