松崎純一は三度死ぬ

私の愛しいアップルパイへ

かつて、私はどちらかというと慎重で、怖がりで、控えめで、神経質なタイプでした。しかし、ここ数年になって、友人のカウボーイたちと話していると、私の情熱のパワーや行動力がどこから来ているか尋ねられることがあります。ちょっと前まではその真逆のタイプでしたから、不思議なものです。

私自身としても、以前より格段に行動力があがったし、度胸もついたと感じています(神経質なのは変わりませんが)。大理石像の如く冷徹になってみると、この変化というのは「死ぬよりはマシ」という意識から来ているように思います。

「死ぬよりはマシ」なんて口で言うのは簡単で、実際に死ぬよりマシだなんて思考を現実味と切迫感をもって意識するのは難しいことです。

ただ、私は実際に死んだことがあるために、日頃から「死ぬよりはマシ」という意識を維持しやすいと思っています。007は二度死ぬと言いますが、私は三度死んだことがあります。

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松崎純一は三度死ぬ

私を死に追いやった出来事は、23歳から3年間の間に立て続けに起こりました。

1.上司に退職を直訴した日

23歳のある日、当時唯一の生きがいでもあったバンドでのライブを終えて、ライブハウス近くに泊めた機材車のある駐車場の近くに腰を下ろしていました。

そこには当時よく同じイベントに出演していた友人のバンドマンたちが集まっていて、その日も4〜5人で機材車の周りで缶ビールを飲んでいました。

当時、私はやる気もないまま金融系のシステムエンジニアとして就職していたのですが、友人のバンドマンはみんな私よりずっとジリ貧の生活をしていて、私よりもずっと泥臭い生活をしていました

夜の駐車場で彼らとあのバンドがどうだだの、いまの音楽業界はどうだのと話しているうちにふと「あ、もう会社を辞めよう」と思い立ち、仲間に宣言したのです。「俺は会社を辞めるぞ!」って。酒の勢いもあったのか、やってみて失敗したらまたやり直せばいいとその時は思えました。

その日はバンドマンたちと朝まで酒を飲み、翌日は初めて会社をサボりました。次の日、私は自分でも驚くほど落ち着いていました。朝イチで上司のデスクに出向き、口頭で退職の意向を伝えました。

その日の午後、急遽行われた上司とのサシのミーティングでこう言われました。「退職したいのは人間関係の悪化が原因だろう?音楽をやりたいといっても、ああいう仕事は人脈やコネがなければできやしないさ。二週間考えてみて、それでも考えが変わらなかったらまた相談に来い。な。」って。

私はただ「はい…」と答えました。このとき、私の中で何かが折れる音が聞こえました。まるで自分の人生が他人事のように思えてきたのです。上司は私に本当はそんな覚悟がないことを見抜いていたようです。

私は「いますぐにでも辞めたい!」と言うことができないばかりか、即座に「上司に止められたのだから仕方ない」なんて言い訳を自分にしていました。何が怖いのか?何が不満なのか?何の覚悟ができていないのか?私は自分と向き合う勇気すらない自分の弱さに心底ガッカリしました。そして、なんだか「もういいや」って思ったのです。

その日私は、強盗が強盗をするように、乞食が乞食をするように、自分を殺したのです。

2.バンドを解散した日

それから2年間、自分自身のことを信じられなくなって失意の日々が続きました。システムエンジニアの仕事は年とともに順調に忙しくなっていきました。

バンドは続けていましたが、システムエンジニアの仕事が忙しくなるのに比例して、バンドでの活動量は自然と減っていきました。

中途半端に続けていても意味がないと思った私は、ここらで今のバンド活動に終止符を打つことにしました。私はただ休むだけで、音楽を完全に諦めるわけじゃないからと自分に言い聞かせました。

最後のライブの日、最後のソングが終わって、幕がしまって、客席にお辞儀をしたままの私は悲しむでもなく、怒るでもなく、皮肉めいた笑みを浮かべていました。「好きなことすらロクにできやしない」って

これは明らかに現実に対する私の敗北宣言でもありました。ここでもう一度自分を殺したのだと感じました。唯一の生きがいすら放棄して、あとは何を続けるというのでしょうか?何者でもない、何者にもなれない自分が心底惨めでした

3.夢を諦めようとした日

それからさらに1年が経ち、私は音楽家になるという夢を持ちつつも、音楽にまったく触れられない日々が続きました。部屋には作曲専用のマシンが常備されていたのに、その電源ボタンを押すことができずにいたのです。

仕事以外にこれといってやることがなくなった私は、夢を忘れようとするかのように、新しい友人関係を築こうとしたり、友人と馬鹿みたいに飲みに行ったり、家で映画やゲームで遊んだりする生活を続けていました。

ただ、頭の片隅にはいつも音楽家になる夢が居座っていました。私は神経質な人間ですから、それを見て見ぬ振りすることが苦しくなった私は、ついにトドメを刺すことに決めたのです。「小学生の頃から大切に大切に両手で抱きしめてきたあの忌々しい音楽家の夢ってやつを諦めてやろう!」って。

夢か仕事かって問われたなら、仕事を取るしかないじゃありませんか。夢だけじゃおまんまは食えないのですから。

それに、仕事とはまったく無関係の音楽家の夢なんてスパッと諦めて現在の仕事に没頭すれば、一角の人間になれるかもしれません。パソコンは昔から得意でしたから、スーパーハッカーとか、スーパーエンジニアとか、悪くない響きじゃありませんか。

そんな風に私は必死に自分自身に言い聞かせ、自分を正当化することにしました。そうやって夢を諦めることにしたのです。ここで私は完全に自分を殺すことにしたのです。

たった一つだけ幸いだったのは、最終的にはここで夢を諦めることができなかったことです。

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死ぬよりマシだと考えれば闘志が湧いてくる

私という人間は人類最良の発明である夢と情熱で構成されています。夢と情熱を踏みにじり完全にかき消してしまったこの3つの出来事が、たった3年間のうちに立て続けに起こったことは、私にとってはほとんど死を意味する行為でした。

キルケゴールの言うとおり「絶望」が死に至る病だとするならば、これら一連の出来事は間違いなく私にとって死に至る病でした。

かなり明確に「死んだ方がマシなのではないか?」と感じたのを覚えています。当時を思い出すと今でも背筋がゾッとします。

ですから、いまから行うことがどんなチャレンジであれ「(あの時のように)死ぬよりはマシ」だと思えば、いつでも自分を奮い立たせる闘志がぐわっと湧いてくるのです。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。

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