私の愛しいアップルパイへ
2011年に江東区の1Rのマンションでこの愛すべきブログは生まれ、2012年にこの愛すべきブログを基盤として脱サラしてフリーランスへと転身しました。約5年前のことです。
5年前に勤めていた会社は新卒で入った会社でしたから、この5年間の働き方の転換は私史上最大の転換となりました。
働き方を変える上で考えたことは色々あれど、一番大切な信念として掲げていたのは「死ぬまで続けられる仕事を選ぶ」ということでした。これは肉体的にというよりは(もちろんそれも多少なりともありますが)、精神的な意味で「死ぬまで働きたいと思えるようなことを仕事にしよう」ということです。
私は死ぬまで働きたいから死ぬまで続けられる仕事を選んだ
まずは私のいまの職業を説明したいところですが、一言で表すのはなかなか難しいものがあります。いま存在しない職業を自分で作ろうと思って始めたものですから。
▼以下の記事を読めば大体のイメージはつくと思います。まぁ、あなたには今さら説明の必要などないかもしれませんが。
私もかつては、定年後のゆとりある生活のために今は身を粉にして働こうと思っていました。それなりの会社で、それなりの役職を得て、定年後に自分の好きなことを好きなだけやろうという、よくある考えです。
しかし、ある時ふと気がつきました。これは結局は決断の先延ばしでしかなかったって。そんな調子で定年を迎えたとして、自分の好きなことすらよく分かっていない自分は結局仕事の他にやることもなく途方に暮れるだけだったでしょう。それで、何もすることもないまま2〜3年もしたら頭もすっかりボケてしまって、何も成し遂げることもなしにあっけなく人生の幕引きがくるのは目に見えていました。
ヴィクトール・フランクル氏の「夜と霧」にあるように、ナチスの強制収容所で大量の死者が出たのはクリスマス直後でした。その理由は、多くの人が「クリスマスまでには戦争は終わっているはずだ」という根拠のない希望に取り憑かれていたからだったそうです。
ナチスの強制収容所といえば我々のいまの生活とは程遠い海の向こうの過去の歴史だろうと思うかもしれませんが、いつか自由になれるはずだという妄想にすがって、好きでもない仕事のために身を削って働いているのなら、あまり違いはありません。
無論、例えば定年退職後の不自由のないセカンドライフのように、将来のある時点の幸せを目指して今は歯を食いしばってでも頑張ることを美徳とした生き方もあるでしょう。
確かに、もしあなたがシラフよりは酔っ払いの方がいくらか幸せだと思うタイプの人間であるならば、そのような幸福を未来へと先送りする虚しい生き方も悪くはないでしょうけど、あなたほど賢明な人がそのような生き方を選ぶとは考え難いものです。
そういうわけで、私は「何歳までは頑張って仕事する」というオプションを完全に切り捨てることにしました。
死ぬ直前までいまのこの仕事のために自分自身を燃やし尽くそうって決意したのです。死ぬまで身を粉にして働くなんて不幸だと思うかもしれませんが、そうではありません。死ぬまで身を粉にして働くことが本望であると思えるようなことを仕事にすることにしたのです。
ですから、かつては隙あらば私の脳内を縦横無尽に駆け巡っていた老後の心配やセカンドライフの計画などは、いまや一切持ち合わせてはいません。どうせ、今も老後も死ぬ直前も、やることは変わらないのですから。
最後に私たちの合言葉を掲載してこの手紙の締めとしましょう。
たった2日の休日のために、残りの5日をドブに捨てるような生活は馬鹿げてる! どうせやるんだったら7日間すべてを情熱の炎でBurning!させるような人生じゃないと!
貴下の従順なる下僕 松崎より