私が個人的な苦悩や葛藤を赤裸々にブログに書き綴る理由

私の愛しいアップルパイへ

この愛すべきブログの運営方針の最優先事項の一つに「私が抱える苦悩と葛藤は細部にわたって赤裸々に公開すること」というのがあります。無名の個人の苦悩や葛藤を公開することにいかほどの価値があるのかと不思議がる人も多いのですが、これこそ真に価値あるものであると私は考えます。

以下でお話ししたこの悲劇のように、悲しみや苦しみや悔しさなど決して前向きではない葛藤であっても、いやそうであればこそより一層力を注いで赤裸々に正直にあなたに伝えるのです。実際、この記事は4時間かけて、涙を流しながら執筆しました。

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このような信念は我が魂の第一配列の内にあり、他のなにごとにも優先されるべきものとして掲げられています。

それによって時にはいたずらに人を傷つけたり心配させたりすることもあるのは当然分かっているつもりです。恥ずかしいとか、馬鹿にされるんじゃないかとか、弱みを握られるんじゃないかといった感情だって少なからずあります。

それらは決して望んだものではないのですが、それでもなお書き綴るだけの価値があると確信しています。

なぜですって?良い質問です。

個人的な苦悩や葛藤の吐露を我慢してきた代償

まずは私の個人的な物語についてお話ししましょう。

あなたもご存知の通り、私はこう見えて繊細な人間です。物心ついた頃から、相対する人間がいま何を感じているかに特別な注意を払っている人間でした。

人に心配をかけないようにしよう、人に迷惑をかけないようにしよう、人を困らせないようにしよう、人の気分を害さないようにしよう、ルールから外れないようにしよう。

かような心がけを最優先事項としたのは両親が警察官であったことの影響も少なからずあったのかもしれません。いずれにせよ、最初は子供らしい純粋な動機でした。歳とともにそれがそのまま性格の一部となり、いつしか我慢が美徳となり、私は極端に消極的な人間になっていました。

しかし、元来人は自由でありたいものです。他人の顔色を伺ってルールに従おうとする一方で、誰からの束縛も受けずに自由でありたいという葛藤が生まれました。このジレンマの中で胸が張り裂けそうになりながらも、私は幼い頃からの信念を守り続けました。我慢の代償は不自由でした。

時が経つとともに私の内に閉じ込められたこの考えは歪められ、社会的・文化的なルールのなかで無名の個人の意志など取るに足らないものであり、口にしたところで「馬鹿馬鹿しい」と一蹴されるだけだと考えるようになりました。個人的な苦悩や葛藤など言うだけ無駄であり、言うだけ無駄なら我慢しておいた方がいくらかマシだと。

実際、個人的な苦悩や葛藤を「馬鹿馬鹿しい」と一蹴するような経験を積むにつれて(そういった人間は数え切れないほど居たのだ!)、心の中では「ほれ見ろ!」とこの信念がどんどん強固なものとなっていったのです。個人的な苦悩や葛藤など無価値だという証拠集めを必死でしていただけかもしれません。

私は無名の個人の苦悩や葛藤などには何の価値もないと確信しながら生きていました。

無名の個人の苦悩や葛藤には人を勇気づけるパワーがある

少年時代の上述した物語を経て、25歳でこの愛すべきを立ち上げたとき、我がブログの師から「汝、失敗や苦悩や葛藤こそ正直に、赤裸々に書け。直感に反しているかもしれんが、その行為よって汝は人の信頼を勝ち取るであろう」といった類の言を授かりました。

私のこの愛すべきブログを立ち上げて以来、最初は戸惑いながらも従順に守り続けてきたつもりです。以下のような絶望的な状況になってもなお師は私に言いました。「汝、格好つけることなかれ!いつも正直であれ!」と。私はその言いつけを守りました。そうして良かったと今でも心から感じています。

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この助言は先に話した物語と完全に衝突します。口に出すことを控えるどころか、不特定多数の人が誰でも読める場所に個人的な苦悩や葛藤を書き綴るわけですから。

いままでの生き方に疑問を感じ始めていた私は、おそらく初めて私の内面に渦巻く個人的な苦悩や葛藤を文章によって自由に表現しました。そしてそれは我が師の助言の通り素晴らしい結果をもたらしてくれました。

個人的な、あまりに個人的な葛藤は同時に人間的な、あまりに人間的な葛藤でもあったということに初めて気づかされたのです。言うだけ無駄だと思って内面に閉じ込めていた個人的な苦悩や葛藤は、予想に反して多くの人々の共感を呼び、勇気づけとなっていきました。

この経験は私の長年の苦悩と葛藤を浄化してくれました。無名の個人の苦悩や葛藤には底知れない価値があると信じられるようになったからです。これはこの愛すべきブログを開設して以来、このブログの運営方針として日に日に重要度が高まってきました。

さらに付け加えるなれば、我が音楽もすべてはこの「無名の個人が抱える苦悩や葛藤には無限の価値がある」という信念に捧げられています。先日リリースした1st Album「EatShit」の曲名がHankやTaylorやThomasといった人名であるのは”無名の個人”を示しているからです。歌詞をはじめとして音楽を構成するあらゆる要素は無名の個人の苦悩と葛藤を表しています。

この愛すべきブログを通して得た経験は音楽活動の基盤にもなりました。

苦悩や葛藤には個人ブログの一番の醍醐味が眠っている

これは私個人のブログに限った話ではなく、ブログをはじめとした個人の情報発信というもっと広い範囲で考えたときにも普遍的に活かすことのできる法則だと感じています。そしてこれは時とともにどんどん重要な要素になってくるでしょう。

すでに十分にその兆候は見られますが、これからは大企業が今以上に本気で自社のブログ作りに注力するようになります。1つのブログに対し、多くのライターが多くの時間を割いて1日に数十といった記事を公開するのが当たり前になるでしょう。さらにはAIによる自動的な記事作成も現実的に可能になってきます。

かような状況において、個人ブログがそれでも生き残ろうとするなら、個人ブログでしか表現できない内容が必要になってきます。個人ブログでしか読めない記事、個人ブログだからこそ楽しめる記事が求められます。その筆頭となるのが、組織や規則や仕組みのなかで埋没してきた、言うだけ無駄だと考えられていたような、無名の個人の苦悩や葛藤ではないでしょうか。

無名の個人の苦悩や葛藤を赤裸々に、正直に公開すること。ここにこそ個人ブログの一番の醍醐味が眠っているのです。

これからも私の個人的な苦悩や葛藤を赤裸々に、泥臭く、格好悪く、正直に公開していくつもりです。

貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。