自分がどう応援してもらいたいかを表明しておく大切さ

私の愛しいアップルパイへ

2011年にこの愛すべきブログjMatsuzakiを立ち上げて以来、かの偉大なりしTCP/IP網を通じて本当に数多くの多彩なカウボーイ達と出会ってきました。そのなかで時折り感じるのは、どのようにして応援して欲しいか表明していないが故に、応援や支援のチャンスを逃していることの多さです。私自身もそういったミスを犯してきました。

現在TaskChute Cloudの追加開発についてクラウドファンディングを立ち上げて資金を募っているのですが、「どのように応援されたいか?」を表明することの大切さに気づいたことは、クラウドファンディングで支援者を募る後押しになりました。

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応援方法が分からないから応援できないもどかしさ

これは日本の文化的な背景もあるかもしれません。人に迷惑をかけたり和を乱したりしないことを第一とする教えや、こじき行為に関する教育などを通じて、特に日本人はおおっぴらに人から支援を募ることに抵抗感を覚えやすい環境にあるのかもしれません。

また、私自身の個人的な体験からすると、幼い頃から「人に迷惑をかけないように」「人に心配をかけないように」と教えられてきたので、いつの間にか支援をお願いすることに抵抗を覚えるようになっていました。

いずれにせよ、こういった慎ましさは日本人らしい美徳かもしれませんが、一方で、応援や支援を募る機会を失っている場合も多々あります。

私は小学生の頃から音楽家の夢がありましたが、人から応援してもらうことを恐れてついぞ音楽家になると宣言することができず、夢を放り投げてずぶりずぶりと不本意な道に進んでいってしまいました。クラウドファンディングを立ち上げるアイデアを思いついたときも、人から支援を募ることに何とも言えない抵抗感を覚えたものです。

周囲を眺めてみてお、ある人が問題にぶつかって支援を必要としてそうに見えるのに、具体的に何を求めているかが分からずに周りが支援を躊躇している様子を感じる場面が幾度かありました。精神的に落ち込んでいるから話を聞いて欲しいのか、金銭的に問題があるから投げ銭をして欲しいのか、独立したばかりで仕事が欲しいのか、分からずに手をこまねいている様子です。

もちろん親密な仲であれば直接話を聞くことができますが、数回会った程度の仲ですと具体的な支援方法について本人に聞き出そうとするまでにはなかなか至らないことも多いでしょう。

実にもったいないことです。

自分はどのように応援して欲しいかを明確に表明しておく大切さ

こういった背景から、自分がどのように人から応援されたいかを表明することの大切さを身に沁みて感じるようになりました。

お金が欲しいならお金が欲しいと表明する。欲しい物があるなら欲しい物があると表明する。仕事が欲しいなら仕事が欲しいと表明する。記事をシェアして欲しいならシェアして欲しいと表明する。ハグして欲しいならハグして欲しいと表明する。言わなくても何を望んでいるかくらい察して欲しいと考えるのはある意味ではむしろ傲慢かもしれません。

無論、それは強欲に移る可能性はありますし、一定の勇気が必要ですし、責任も伴いますが、あなたを応援したい人からすれば「待ってました!」と思ってもらえます。むしろ、応援したいと感じている人にとって、適切な応援方法が分からないことほど歯痒いことはありません。

誰からも応援されなかったらどうしよう?期待していたほどの応援がなかったらどうしよう?といった不安と真正面から向き合う必要がありますが、そうするだけの価値はあるでしょう。

かくして私は、自分がどのように応援して欲しいか明確に表明する意識を強く持つようになりました。もちろん、願わくばあなたにもそうして欲しいと思っていますし、そのために私から始めることにしました。

私は高らかに宣言しますが、私はいま以下のクラウドファンディングを支援して欲しいと考えています。金銭の支援だけでなく、ページをシェアしてくださるだけでも十分にありがたいです。強欲の誹りを受けることを覚悟で言いますけれど、あなたにも支援者になっていただけると嬉しいです。とはいっても、あなたほどの人がそれを強欲なんて非難するとは私には到底思えませんけど。

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貴下の従順なる下僕 松崎より

著者画像

システム系の専門学校を卒業後、システム屋として6年半の会社員生活を経て独立。ブログ「jMatsuzaki」を通して、小学生のころからの夢であった音楽家へ至るまでの全プロセスを公開することで、のっぴきならない現実を乗り越えて、諦めきれない夢に向かう生き方を伝えている。