▼本記事の動画版もご用意しましたので、より詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。
私の愛しいアップルパイへ
私もあなたもそれぞれ自分独自の英雄物語を生きています。それはアキレウスともヘラクレスとも違う英雄物語な訳ですが、彼らと遜色ないほど価値ある英雄物語であることは疑いようもありません。
ホメロスが彼らの英雄物語を書き綴り現代にも伝わる書物として残したように、私たちも自らの英雄物語を記録に残しておくことはまったくもって実に意義深い仕事の1つといえます。
私は2011年以来、自分のこれまでの歴史を「自分史」として1つの表に文章化し、毎年更新し続けててきました。これは今でも更新を続けていますが、そうするだけの価値のある習慣だと確信しています。
今日は自分史を作ることの効果と書き方、自分史のテンプレートを紹介します。
慎ましいあなたは自分の人生なんてと謙遜するかもしれませんが、あなたのような可憐なお方の人生を記録に残しておかないのはまったくもったいないことで、人類の損失だとすら私は考えているのです。
夢破れた哀れな男の物語なのか?夢へと向かう勇敢な男の物語なのか?
まず私が体験してきた自分史のパワーをお話しさせてください。自分史を作り、更新し続ける習慣は私の人生を望ましい方向へと突き進めてくれました。
あれは今から8年ほど前、25歳の頃でした。真夏の茹で上がるような猛暑とは裏腹に、私の心はひどく冷めていました。
当時の私の人生に対する自己評価について一言で表すならば「手遅れ」でした。私は小学生の頃から音楽家になる夢を胸に秘めてきましたが、当時の人生はそれとはまったく異なるものでした。
私はいつしか自分の人生を「夢破れた哀れな男の物語」として捉えるようになっていました。それによって不本意な仕事につき、空虚な遊びに時間を浪費し、自己嫌悪に陥るという負のスパイラルから抜け出せなくなっていました。
そんな生活を5年以上続けたある日、私はこのうんざりするほど冴えない男の物語を生きることに憤慨しました。なぜ他でもないこの私が、この冴えない物語を体現せねばならないのか?と。
そして私はたとえ悪あがきに過ぎなかったとしても、諦めきれない夢にもう一度向かう決意をしました。つまり、自分の人生を「夢破れた哀れな男の物語」として捉えるのではなく「夢へと向かう勇敢な男の物語」として再定義することにしたのです。
結局のところ、これが最も根本的で強力な人生の推進力になったと今では確信しています。
良くも悪くも、人は自分が自らに対して思い描いているセルフストーリーに基づいて行動するものです。そして、これが大事なポイントなのですが、セルフストーリーは自分で書き換えることができます。
私は自分の人生を「夢へと向かう勇敢な男の物語」だと再定義するにあたって、まず自らの自分史を書き始めました。なぜかと言うと、もうあなたもお気づきかと思いますが、自分史を作ることは、セルフストーリーを主体的に書き換える具体的な行動になるのです。
自分史を作ることで得られる3つの効果
上記のことから、自分史を作る効果についてあらためてまとめていきましょう。
1.過去の意味づけを変えれば、未来が変わる
アドラー心理学の入門書としてベストセラーとなった名著「嫌われる勇気」にはこんな一節があります。
いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック−いわゆるトラウマ−に苦しむのではなく、経験の中から自分にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである
「嫌われる勇気」 第一夜 トラウマを否定せよ
自分史を作る過程では、自分の過去の経験を1つ1つ手に取って意味づけし直す作業をすることになります。これはまさに、過去に与える意味を望ましい方向に変更し、自らの生き方を決定するスイッチになります。人の思考というのは急には変わりません。筋トレと同じように自分でも気が付かないほど少しずつ少しずつ破壊と再生を繰り返して、気がついたときには別物に変わっているものです。
私はほとんど記憶から忘れ去られていたような幼少の出来事や、少し思い出すだけで胃がムカムカするような出来事を1つ1つ丁寧に手に取り、意味づけを変えるプロセスを経ました。そうすることで、少しずつ少しずつ私は「夢破れた哀れな男の物語」を生きているのではなく「夢へと向かう勇敢な男の物語」を生きているのだと確信していったのです。
アドラー心理学にある通り、過去の意味づけが変われば未来が変わります。自分史は未来を主体的に築く効果があるのです。
2.セルフストーリーを持てば意味づけを思い出せるようになる
加えて、自分史の良いところは時系列で過去の出来事をまとめることによって、人生を1つのストーリーとして認識できるようになることです。
先ほど過去の意味づけによって生き方が変わることを紹介しましたが、そのための重要な要素として、行動指針になるくらいに過去の意味づけをいつでも思い出せることが必要になります。さもなくば、今まで自分に抱き続け、ほとんど自分そのものになりつつある古い意味づけに行動が引っ張られてしまうでしょう。
自分史を作ることで、私は自分の人生を「諦めきれない夢へと向かう最後の悪あがきに燃える勇敢な男の物語」だと再定義することにしました。そして、その証拠として過去の数々の現実に起きた具体的なエピソードを1つ1つセルフストーリーを構成するパーツとして文章化しました。
その結果、私は自分の人生をまるで一本の映画のように捉えるようになれたのです。心に残った映画というは何年経ってもその細部まで思い出せるものですが、そんな風に自分が思い描く望ましいセルフストーリーをいつでも思い出せるようになったのです。これは日々の行動を劇的に変化させてくれました。
時に人は望ましい理想の未来を描くよりも、まさに今直面している問題が生まれた経緯を思い出した方が強力な推進力になることがあります。
▼これは以下の記事でも解説しておりますので、こちらもご参考にどうぞ。
3.赤裸々なセルフストーリーは人を勇気づけする
そのうえ、もう一つ別の切り口として、自分史を作る素晴らしい効果があります。それは、自分史とそこから主体的に築き上げたセルフストーリーは、自分だけでなく他人をも勇気づけできることです。
例を挙げるまでもなく、フィクションであれノンフィクションであれ、有名であれ無名であれ、人生を綴った物語はこれまで文字通り数えきれないほどの人を勇気づけし、奮い立たせてきました。セルフストーリーも物語である以上、人を勇気づけする力を持っています。
自分自身の唯一無二の物語を通して他人を勇気づけすること、これほど偉大な仕事が他にあるでしょうか?(否、無い!)
人が動く時というのは説得された時ではなく、模範を見た時です。主体的に築き上げられ、再定義された自分史が表現する刺激的なドキュメンタリーは他人にも影響を与え、奮い立たせることができます。
私はこの愛すべきブログを立ち上げるとともに自らのプロフィールを執筆し、そこに自分史を公開しました。
▼今でも最新の自分史が以下に公開されています。
この愛すべきブログにおいて上記のページは極めて重要な位置を担ってきました。自らの自分史について事細かく詳細を記し、プロフィールページに公開しておくことで、私が人にどのように影響を与えたいかを宣言する役割を担ってきました。実際のところ、このプロフィールページに勇気づけられたと村中を照らせるようなキラキラする瞳で告白してくださった方が何人もいらっしゃいました。
いつしかプロフィールページは私の営業担当のように機能し始め、適切に同志を集めてくれるようになったのです。
自分史のテンプレート
自分史はどんなフォーマットでも構いませんが、大抵の場合は生まれてからの重要な出来事をピックアップして時系列で並べていくことになるでしょう。ですから、箇条書きができるメモ帳やアウトライナーを使ってもいいですし、Excelのような表形式を使っても良いでしょう。
とはいえ、テンプレートがあった方が書きやすい場合もあるでしょうから、私が使っているテンプレートを共有いたします。私は紳士ですから。
このテンプレートは実にシンプルなものですから見ていただければ何を書けばいいかはすぐに分かるでしょう。左から順に「時期」「年齢」「できごと」を埋めていくテンプレートになっています。
▼以下には上記のテンプレートを表形式として扱えるようにしたGoogle スプレッドシートのテンプレートをご用意しました。よろしければお使いください。
»自分史テンプレートへのリンク(Googleスプレッドシートのファイルへ飛びます)
※ファイルメニューから各種の形式でダウンロードできますので、ダウンロードの上お使いください
▼参考までに、以下は私の現在の自分史です。表をどのように埋めていくかの参考にしてみてください。
▼以下のプロフィールページではいつでも我が自分史の最新版を閲覧することができます。
自分史の新規作成と更新する方法
それでは実際の自分史の書き方を見ていきましょう。
初めて自分史を作成する方法
まずは自分史を新規作成するときのやり方についてお話ししましょう。新規作成するときは自分のこれまでの記録と記憶を頼りに生まれてから今までの出来事を時系列で整理していくことになります。
ここでのコツとしては、すべての出来事を網羅する必要はありませんし、古い順に書き出していく必要もありません。自分史は履歴書に記載する職務経歴書とは違います。もっと主観的なものです。
自分にとって思い出しやすいこと、より重要だと思える出来事から書き始めて良いでしょう。それを軸に少しずつ前後を補強していくやり方がオススメです。些細な出来事だと思えば自分史に記載する必要もありません。
そして出来事の欄には実際に起こった事実だけでなく、それを自分がどう捉えているかも一緒に書き加えましょう。悔しかったのか。悔しかったのならなぜ悔しかったのか。それがその後どう影響したかなどを深堀して文章化していきます。ここが過去の出来事を1つ1つ手に取って意味づけを変えていく作業になります。
初めて作成する場合に全てを網羅できていなくともまったく構いません。重要な出来事でも忘れていることがあるでしょうし、些細なことが後から重要な出来事であったと気づくこともあるでしょう。
自分史は少しずつ更新していくものです。その過程で過去の出来事に対しても詳細化されていくからです。
自分史を更新するために日々やること
ここからは自分史の更新プロセスに入っていきます。まずこの節で更新のための仕込みについてお話しし、次の節で実際に自分史を更新する方法をお話しします。
自分史の更新のために日々必ずやって欲しいことは日記を書くことです。日記を毎日書いておけば、自分史をアップデートするための出汁をとることができます。
自分史の更新の際に完全に記憶に頼っていると、更新するのが大変になりますし、その精度も下がってしまいます。思い出すのが億劫で自分史の更新を挫折してしまう可能性もあります。
そこで日記を通して日々の出来事のスナップショットを少しずつ文章化していけば、自分史を更新する負荷を下げると同時に、より精密に自分史を更新することができるでしょう。
▼私なりの日記の書き方については以下の記事でも解説しておりますのでご参考にどうぞ。
この後詳しくお話ししますが、自分史は年に一回のペースで更新するのがオススメです。とはいえ、自分史の更新にあたって365日分の日記を読み返すとなるととても大変です。
そこで、日記を定期的にまとめる作業を行なっておくとスムーズに自分史の更新にも入れます。具体的には週に一回、一週間分の日記を振り返って週間レポートを作成します。また、月の初めには先月分(週間レポート4週分または5週分)を振り返って月間レポートを作成しておきます。
こうしておけば、自分史の更新にあたっては12の月間レポートを振り返れば良いだけになるので、精密かつ現実的に継続的な自分史の更新が可能となるでしょう。
▼この辺りの概念については以下の記事にもまとまっていますので、こちらもご参考にどうぞ。
自分史を更新する方法
最後に、継続的に自分史を更新する方法についてお話ししましょう。時間と共に人生には新たな重要イベントが発生するもので、それと共にセルフストーリーも書き変わっていくものです。自分史は年に一回のペースで更新していくことをオススメします。
更新の方法はシンプルで、前の節でご紹介した月次レポート1年分、つまり12枚分読み直しながら更新していくことになります。月次レポートに書かれていることを全て反映させるのではなく、その中でも一年を振り返ってセルフストーリーを補強したり大筋に変化を与えるような重要なイベントだけ取り出して、追記していく形になります。
前の節でご説明した仕込みをきちんとやっていれば、一年の振り返りといっても30分〜1時間で行えるはずです。しかも当時の出来事が記録に残っているので、かなり正確に行えます。これなら自分史を毎年更新する習慣も現実的に継続できるでしょう。
また全体の更新が終わったら過去分についても更新の余地がないか確認してみると良いです。前半部分で述べましたが、自分史は事実をただ時系列に羅列したものとは違います。自らが自分に対して思い描いているセルフストーリーを表現するものです。
そのためセルフストーリーが補強されたり、変更された際には当然過去の出来事に対する意味づけも変わってきますし、以前は重要とは思っていなかった過去の出来事が実は人生に大きな影響を与えていたと再発見することもあるでしょう。
ですから、過去分についても必要に応じてどんどん変更してしまって構いません。出来事に関する事実を補足したり、意味づけを変更したり、新たな出来事を追加したり、または削除する場合もあるでしょう。
そのように年に1回は生まれてから今までのセルフストーリー全体を調整すれば、自分史は実にパワフルな効果を発揮するはずです。
自分史は未来の自分を主体的に作るための習慣
ここまで読んでいただければ分かると思いますが、自分史は自分の過去の事実をただ記録するためのものではございません。
口から飛び出した言葉が未来を作っていくのと同じように、自分史を通して自分を表現すれば未来を主体的に形成していってくれます。自分は過去を閉じ込めるためのものではなく、未来を作り出すためのものなのです。
自分が自分に対して思い描いているセルフストーリーを自分史として可視化すれば、きっと素晴らしい効果を得ることができます。私がそうであったように。
貴下の従順なる下僕 松崎より